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医史跡, 医資料館探訪記13 お玉ヶ池種痘所跡を訪ねて

JR神田駅から徒歩7~8分神田岩本町の交差点付近に、「お玉ヶ池種痘所跡」という碑が建っています。お玉ヶ池種痘所は1858年(安政5年)に伊東玄朴ら83名の蘭学医の手によって設立されました。種痘所はわずか半年後に火事の類焼のため伊東玄朴宅を臨時の種痘所にしました。幕府に接収され官立の種痘所(初代頭取に大槻俊斎)となり、後に西洋医学所と改称されました(2代頭取に緒方洪庵)。さらに明治になって大学東校を経て、東京医学校となりました。これが東京大学医学部の前身です。岩本町は、いわば東京大学医学部発祥の地なのです。

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医史跡、医資料館探訪記13 お玉ヶ池種痘所跡を訪ねて

江戸初期には不忍池ほどの大きさだったお玉ヶ池も後に埋めたられ小さなものになったそうです。お玉ヶ池周辺には千葉周作の玄武館などもありました。

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二子玉川ステーションビル矯正・歯科

小児歯科担当 髙見澤 豊