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医史跡、医資料館探訪記27 道修町ミュージアムストリートを訪ねて

大阪市中央区道修町(どしょうまち)は古くから薬の町として知られている。今でも多くの製薬会社があります。その企業資料館が数多くあることから、道修町ミュージアムストリートと呼ばれている。今回は、田辺三菱製薬史料館、大日本住友製薬展示ギャラリー、武田製薬の杏雨書屋(きょううしょおく)を訪ねた。

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田辺三菱製薬史料館は2015年5月にオープンしたもので本社ビルの2階にあり、予約制で学芸員による解説もある。旧田辺製薬(現 田辺三菱製薬)は、世界で2番目(メルク株式会社が世界最古1668年創業)に古い製薬会社で、1678年に初代田邊五兵衛が大阪・土佐堀で「田邊屋振出薬」の製造販売の店舗を開いたことにその歴史は始まる。

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さらに時代をさかのぼると、初代田邊屋五兵衞の曽祖父にあたる田邊屋又左衞門は、1604年から既に海外との貿易を行い、海外の貴重な薬種を日本に輸入していた。その朱印船の絵が展示されていた。

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中国の薬の神様「神農」の日本画。神農は同じ道修町の少彦名神社に祀られている神様でもある。

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明治期に入るとそれまでの和薬の製造をやめて全面的に洋薬の販売に切り替える。独逸國ハイデン製造所サリチル酸と書いてある。

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現在に至る製剤の数々や今後期待される治療薬についても展示もあった。まさに田辺三菱製薬の歴史の詰まった史料館であった。

大日本住友製薬展示ギャラリーは、建物窓越し展示物をみるかたちになっており入館はできない。

大日本住友製薬の前身、大阪製薬株式会社の創業総会が1896年(明治29年)12月に開催され、発起人には田辺五兵衛や塩野義三郎など道修町で活躍する有力な薬業家が名乗りを上げた。当時、国内の未熟な製薬技術により不良品が横行していたため、大阪の薬業家の手により「純良医薬品製造」の事業を起こそうとした。その趣意書には「長井長義博士の賛助を得て、大阪の同業者が心を一つにして完全無欠の製薬所となる大阪製薬株式会社を設立し、営利追及を主とせず、広く一般の人々に役立つことを願い、品質の純良な製品を製造し、価格を安くして世の中の求めに応じたい・・・」と業界の心意気が記されている。長井博士とは東京帝国大学教授で化学、薬学の権威で日本薬学の父といわれる。大阪製薬株式会社の技術顧問に長井博士を迎え、1897年(明治30年)には現在の大阪市福島区にドイツなどの最新の製薬機械を備えた海老江製薬所を稼働。

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左が蒸留缶。大日本製薬会社(東京)の製薬長だった長井博士により1884年(明治17年)にドイツから輸入されたもので、大日本製薬会社が大阪製薬株式会社に吸収合併された際に大阪の海老江工場に運ばれた。右はは濾過機で、蒸留缶と同時期に購入され、同じ経緯で大阪に移された。

杏雨書屋(きょううしょおく)は、武田薬品工業グループの図書資料館で2014年4月大阪・道修町で本格オープンした。もともと大阪工場(大阪市淀川区)にあったが、工場内の書庫が手狭になったため2013年9月に移転し半年かけて収蔵図書が閲覧可能となった。杏雨書屋は、解体新書のほか、その原著である「ターヘル・アナトミア」、東洋の古い医薬書など約15万冊を所蔵している。一般に公開されているのは一部で、多くは学術研究用のものである。常設展として「医学・薬学にまつわる素材と道具類」が展示されていた。展示室内は撮影禁止であった。イッカクの牙(上顎左側切歯)があり、以前は漢方薬として珍重されたとのこと。写真右の蘭引きはアルコールを蒸留したりするのに使用したという(写真はネットから引用)。細菌学が興る以前の16世紀に消毒の概念がどの程度であったかわからないが、蘭引きという蒸留装置があったことは興味深い。

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二子玉川ステーションビル矯正・歯科

小児歯科担当 髙見澤 豊