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医史跡、医資料館探訪記45 大日本私立衛生会附属傳染病研究所跡を訪ねて

北里柴三郎がドイツ留学中に脚気の原因を巡り東大教授緒方正規と対立したことから、母校を敵に回すことになり、帰国後の研究者生命を危うくしてしまう。その危機的状況を見ていた福沢諭吉よる多大な資金援助により1892年(明治25年)、北里のために設立したのが芝公園の「私立伝染病研究所」であった。

伝染病研究所の碑は、都営三田線御成門駅A3b出口近くの住友不動産御成門タワーの敷地内にあり、道路を挟んだ反対側は増上寺である。

医史跡、医資料館探訪記45 大日本私立衛生会附属傳染病研究所跡を訪ねて

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その後、愛宕町に移転し内務省所管の「国立伝染病研究所」になる。愛宕町の研究所が手狭になったことから白金台へ移転するが、内務省の所管から文部省所管へ変わり東大の下部組織(現 東大医科学研究所)になることになったことから、北里から伝染病研究所を辞し北里研究所を設立するのであった。

 

二子玉川ステーションビル矯正・歯科

小児歯科担当 髙見澤 豊