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医史跡、医資料館探訪記53 東京慈恵会医科大学発祥之地を訪ねて

現在の東京慈恵会医科大学は西新橋にあるが、そのはじまりは京橋区鎗屋町11番地(現 銀座4丁目4-1)に設けた成医会講習所である。成医会講習所はのちの海軍軍医総監高木兼寛がイギリス留学から戻り、最新のイギリス医学を教育する場として創立したものである。

ドイツ医学が明治政府により採用され医学教育の本流となるが、海軍はイギリス式であったことからイギリス医学が採用された。高木兼寛は、1869年(明治2年)に薩摩藩の開成所洋学局で英語と西洋医学を学び、1870年(明治3年)に藩によって創設された鹿児島医学校に入学しイギリス人のウィリアム・ウィリスに学んだことから、1872年(明治5年)に海軍医務行政の中央機関・海軍軍医寮(後の海軍省医務局)の幹部になった人生の師である石神良策の推挙により一等軍医副(中尉相当官)として海軍入りした。軍医少監(少佐相当官)であった1875年(明治8年)、当時の海軍病院学舎(後の海軍軍医学校)教官のイギリス海軍軍医アンダーソンに認められ、彼の母校セント・トーマス病院医学校(現 キングス・カレッジ・ロンドン)に留学。在学中に最優秀学生の表彰を受けるとともに、英国外科医・内科医・産科医の資格と英国医学校の外科学教授資格を取得し1880年(明治13年)帰国した。

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高木が留学していたころのセント・トーマス病院医学校

英国セント・トーマス病院医学校のように権威のある医学校を日本につくってみたいと思っていた高木兼寛は、計画の予定を著しく早めて、帰国早々のあわただしい中、1881年(明治14年)5月1日に成医会講習所を創設したのであった。

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現在の銀座4丁目4-1(左)、郵便ポストの隣に記念碑(右)がある。記念碑の裏には「明治14年男爵高木兼寛英国医学教授ノ目的ヲモッテコノ地ニ成医会講習所ヲ開設スコレ東京慈恵会医科大学ノ濫觴*(らんしょう)ナリ。創立百年ヲ記念シコノ碑ヲ建ツ。」とある。*濫觴とは、物事の起こり。始まり。起源。

成医会講習所は、慶應義塾医学所(現 慶応義塾大学医学部)が1873年(明治6年)に開設、済生学舎(現 日本医科大学)が1876年(明治9年)に創立に次いで古い。戦前に3校とも旧制大学(医科大学)に昇格したことから、私立御三家といわれている。

 

二子玉川ステーションビル矯正・歯科

小児歯科担当 髙見澤 豊