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医史跡、医資料館探訪記22 金沢を訪ねて

金沢で第31回小児口腔外科学会学術大会があったので訪れました。

国立大学の医学部というのは、現在ではいろいろありますが、伝統校(旧制大学)として旧帝国大学7校のほかに旧六(旧六医大)といわれる大学があります。そのひとつが金沢大学です。1862年(文久2年)3月の加賀藩、彦三種痘所を設立が金沢大学医学部の起源とされています。種痘所は近江町市場の近くにある現在の金沢彦三郵便局前が跡地とされ、2011年(平成23年)に石碑「金沢大学発祥の地」を建立しました。種痘所では蘭学医 黒川良安らが中心となり,天然痘の予防に尽力したのでした。

近江町市場を抜け金沢城大手門前に行きます。現在の金沢健康プラザ大手町付近に金沢医学館はありました。医学館は1870年(明治3年)に設立され、加賀藩重臣 津田玄蕃邸の建物が使われました。1912年(明治45年)に金沢医学専門学校が小立野に移転するまで校舎として利用されました。1923年(大正12年)兼六園桂坂口をでたところに移築され現在は兼六園管理事務所として使われています。

医史跡、医資料館探訪記22 金沢を訪ねて 

金沢大学自体も開学から40年は、キャンパスは金沢城内にありました。

金沢大学医学部記念館は日祝休館なので見学できませんでしたが、黒川良安が1868年(明治元年)藩命により長崎出張の折、購入し持ち帰ったキンストレーキ(人体解剖模型)ほか、多数医学資料が保存されています。

医史跡、医資料館探訪記22 金沢を訪ねて 高さ167.8cmあり、ほぼ実物大でしょうか?

キンストレーキは、解剖実習が難しかった時代に人体の構造を学ぶために使われました。金沢大学のキンストレーキは我が国に現存する4体(長崎大学附属図書館(医学分館 近代医学史料展示室)に1体、福井市立郷土歴史博物館に2体)のなかでもっとも保存状態がよいといわれており、国立博物館で開催された「特別展 人体-神秘への挑戦-」でも展示されました。2008年から本キンストレーキについて解組・修理が行われ併せて調査研究もされました。その結果、全92パーツ中欠失パーツは6つのみであることがわかりました。

 

二子玉川ステーションビル矯正・歯科

小児歯科担当 髙見澤 豊