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医史跡、医資料館探訪記29 除痘館記念資料室と除痘館発祥の地を訪ねて

1849年(嘉永2年)に福井藩笠原良策より分苗を受け、緒方洪庵が大阪で最初の種痘を行ったのが古手町(現 道修町4丁目)であり、記念碑が建っている。古手町の除痘館が手狭になったことから、11年後の1860年(万延元年)には適塾の南に移転した。そこが現在の財団法人洪庵記念会・緒方ビルであり、その4階に除痘館記念資料室がある。

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1m弱の小さな碑で見つけるのに難儀しました。上には緒方洪庵の絵、中段が碑文、下が疱瘡神の絵でした。右の写真が疱瘡神の絵図。

医史跡、医資料館探訪記29 除痘館記念資料室と除痘館発祥の地を訪ねて

下の写真は、緒方ビルの北側の入り口にある除痘館跡のレリーフ。

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除痘館では、死亡率が2割を超える恐ろしい伝染病であった天然痘から子どもたちを守るため、牛痘法(1796年英国のジェンナーが始めた方法)による予防接種を行った。これは日本における予防医学の原点ともいえるもので、洪庵亡き後も受け継がれ明治維新後も公共事業として引き継がれた。

これ以前に牛痘法がまったく行われていなかったかといえばそうではない。ロシアに拉致、抑留後に解放された中川五郎次(五郎治は近年の研究から誤りと指摘されている)がロシアより牛痘法を持ち帰り、洪庵たちに先立つこと25年前に蝦夷地松前藩で行ったのが最初である。五郎次の牛痘苗はロシアからのものではなく、どのように手にいれたのかは不明である。

緒方ビル4階の除痘館記念資料室を訪ねた。室内は撮影禁止で、来館者は私だけであった。熱心に展示をみていると、「緒方洪庵生誕200年記念 大阪の除痘館」を頂いた。ありがたいことである。

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二子玉川ステーションビル矯正・歯科

小児歯科担当 髙見澤 豊