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医史跡、医資料館探訪記34 博物館明治村を訪ねて

2020年8月に愛知県犬山市にある博物館明治村を訪ねた。名鉄名古屋駅から特急で犬山駅まで25分、そこからバスで約20分である。明治村には、北里研究所、日赤中央病院病棟、名古屋衛戍病院などの医療関係の建物が移設されている。建物が移設されているだけでなく、当時の関連した展示物もおもしろい。移設された建物は当時のままで当然エアコンもなく、窓が開放されていた。大きな建物では、涼を得るために扇風機が何箇所かに設置されていた。不思議と直射日光が遮られた室内は、外に比べて涼しく感じるものである。

1.北里研究所本館・医学館

まず北里研究所本館・医学館へ行ってみた。医史跡、医資料館探訪記34 博物館明治村を訪ねて

顕微鏡で良好な観察ができるように光の変化が少ない北側に部屋が配置されている。

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1894年(明治27年)5月、香港でペストが流行した際に派遣された北里らがペスト菌を発見したことを記念して贈られた胸像(複製)。南側の廊下、左手(北側)部屋が並ぶ。

展示室では「結核との闘いの歴史展」というテーマで展示がなされていた。結核菌は、北里の恩師ローベルト・コッホが発見し培養に成功した。産業革命以降結核は蔓延し、20世紀になり栄養状態の改善とともに患者は減少に転じるものの、日本では1950年(昭和25年)まで死因のトップであった。

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1914年(大正3年)11月5日北里研究所が設立され、この建物は翌年12月に現在の北里研究所本部がある東京都港区白金に竣工した。2階に所長室があり、北里が執務をとりました。この建物で亡くなる前日まで研究に励むのでした。

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血清療法のために馬の全血を採取しているところ(下図)

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展示室(下図)

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2.日赤中央病院病棟

日本赤十字社は、1877年(明治10年)西南戦争の際に敵味方の区別なく負傷者を救護するために設立された博愛社を前身とする。この中央病院は、1886年(明治19年)にわが国が万国赤十字条約に加盟した際に皇室から賜った御料地に建てられた大規模病院である。

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救護員十訓は現代にも通じる内容である(下図)。

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当時を偲ばせる病室(下図)。

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3.名古屋衛戍病院(なごやえいじゅびょういん)

名古屋衛戍病院は1873年(明治6年)に設立された陸軍病院である。分棟式という洋式大病院の典型的な形式を取っており、6棟の病棟と管理診療棟とが渡り廊下で結ばれていた。移築されたのは病棟の1つと管理棟が移築されている。

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国産の医療用エックス線装置「ダイアナ号」が展示してあった(下図)。この装置が展示してあるのは、明治村以外では京都の島津製作所創業記念資料館がある。「ダイアナ号」は1918年から1936年頃まで製造していた汎用医療用X線装置で、独立行政法人国立科学博物館が選定する2018年度の「重要科学技術史資料(愛称:未来技術遺産)」に登録されている。

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1895年(明治28年)にエックス線が発見されてから、そのわずか11ヵ月後、1896年(明治29年)10月10日に二代目島津源蔵らの研究チームはエックス線の撮影を成功させた。1909年(明治42年)に国産初のエックス線装置が島津製作所で開発し、「ダイアナ号」の発売によりレントゲンの島津と呼ばれるようになる。

 

二子玉川ステーションビル矯正・歯科

小児歯科担当 髙見澤 豊