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医史跡、医資料館探訪記56 日本心臓血管外科の先駆け榊原仠の生誕の地を訪ねて

我が国の近代的な心臓血管外科は、1951年(昭和26年)榊原仠(さかきばら しげる)とその兄榊原亨(さかきばら とおる)による動脈管結紮術がはじまりといわれている1)。動脈管結紮術は、動脈管開存症という先天性心疾患に対する手術法の一つである。

榊原仠は、東京帝国大学卒業後、医学部第二外科講座に入局。大東亜戦争では軍医としてフィリピン戦線に従軍した。1950年(昭和25年)に東京女子医科大学外科主任教授に就任。1967年(昭和42年)6月に自らが発起人となり公益財団法人日本心臓血圧研究振興会を設立。第5回日本心臓血管外科学会会長も務めた。

医史跡、医資料館探訪記56 日本心臓血管外科の先駆け榊原仠の生誕の地を訪ねて

榊原仠の生誕地は福井市のフェニックス通りから福井市立郷土歴史博物館方向にさくら通りを少し入ったところにある。

医史跡、医資料館探訪記56 日本心臓血管外科の先駆け榊原仠の生誕の地を訪ねて

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碑には、「榊原 仠先生生誕の地 心臓外科の世界的権威として知られた榊原 仠先生は明治42年10月12日この地に生まれた 長兄亨博士と共に日本初の心臓手術に成功 東京女子医科大学教授 日本心臓血圧研究所長 筑波大学副学長 榊原記念病院長を歴任した 福井市に福井心臓血圧センター福井循環器病院を設立 その生涯を「進而不止」の精神で医学の発展と治療に尽くした 昭和54年9月28日没」とある。

 

参考文献

1)古瀬彰:日本心臓血管外科学会の歴史,日本心臓血管外科学会雑誌38(5)301-313,2009.

 

二子玉川ステーションビル矯正・歯科

小児歯科担当 髙見澤 豊