NEWS

医史跡、医資料館探訪記61 しょうけい館企画展「戦場の軍医と衛生兵」を訪ねて

大東亜戦争時の前線において陸軍の軍医と衛生兵の医療活動を伝える企画展が、令和4年7月12日から9月11日開催された。

 前線での軍医と衛生兵の主な任務は、止血をはじめとした応急処置と重傷者の後送であり、部隊の作戦行動中は要所に包帯所、野戦病院を設けて後送されてきた負傷兵の処置や治療にあった。軍隊では兵士の原隊復帰を基本としているため、包帯所や野戦病院で処置を行った後、軍医から前線復帰が可能と判断されれば原隊へと戻され、重傷者は更に後方の医療機関へと後送された。戦傷病者の収容体系については以下の図に示す。

戦病傷者の収容体系(陸軍)

戦況の悪化する中で十分な医薬品の補給もないままに手術を行わなければならない状況もあったという。展示では軍医や衛生兵本人の証言、手記から前線での任務の様子が明らかにされた。

戦地では戦傷以外に病気に罹る者も多くおり、いわゆる戦病者は満州・中国戦線では結核、南方ではマラリアに罹る者が多かった。前述の結核、マラリア以外にも赤痢、コレラ、デング熱、熱帯性潰瘍、脚気、腸チフス、えつびょう(日射病と熱射病の総称)などがあったという。食糧不足からくる栄養失調、免疫力の低下が感染症のまん延を招き戦病によっても多くの命が失われた。ニューギニアでは戦死者のうち、戦闘で亡くなった人は1割、マラリアで亡くなった人は9割だったという話もあった。

展示では摘出された銃弾(摘出弾)も展示されていた。摘出弾は原型を留めるものは少なかった。摘出されたものには小銃弾のほかにも砲弾の破片や手りゅう弾の破片などもあり、摘出術がうまく行われなければ、ガス壊疽となり四肢の切断を招いたり、死に至ることも多かった。 最も有効だった麻酔はクロールエチールによる全身麻酔であったが、手術は局所麻酔下で行われるのが一般的であった。医薬品不足からときには手術が無麻酔で行われることもあったという。

軍医や衛生兵自身が感染症に罹ってしまうこともあったり、十分な人員が配置されず衛生兵1人で数百人を看護しなければならない状況もあったという。戦傷病者からは衛生兵殿に診てもらえた、軍医殿に診てもらえたと感謝しながら死んでいった者も多かったという。戦争の凄惨さが伝わってくる展示であった。

二子玉川ステーションビル矯正・歯科

小児歯科担当 髙見澤 豊