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医史跡、医資料館探訪記84 エルメレンスの記念碑を訪ねて

大阪大学吹田キャンパスの医学部付属病院前庭に クリスチャン・ヤコブ・エルメレンス(Christiaan Jacob Ermerins、1841年6月21日~1880年2月11日) の記念碑はある。

エルメレンスは、明治時代にお雇い外国人として来日したオランダの医師である。ミッテルブルグ出身。フローニンゲン大学卒業後、1870年(明治3年)、同年帰国したアントニウス・ボードウィンの後継者として大阪医学校(現在の大阪大学医学部)で教鞭を執った。

その後、同学校の閉鎖により辞職し、1877年(明治10年)に任期満了及びコンスタント・ゲオルグ・ファン・マンスフェルトに交代し帰国するまで、大阪府民病院等の教師を歴任した。

本ブログの「医史跡、医資料館探訪記82 大阪大学医学史料展示室を訪ねて」にも示したように、エルメレンスの講義録は多く残されており、学生たちからも尊敬されていた。1880年(明治13年)に南仏で38歳で亡くなったことが知らされると、府立大阪病院院長の高橋正純らが発起人になり記念碑設立の募金活動が始まり、1881年(明治14年)「越爾蔑嗹斯(エルメレンス)先生紀念碑」の除幕に至った。元々中之島(旧医学部、現北区中之島1丁目)に建てられたが、2001年(平成13年)6月の医学部移転に際して記念碑の痛みが激しく移設はできなかった。現記念碑は再建されたものである。

移設前の顕彰碑(下)と碑文の写し(上)

参考文献

諸澄邦彦:医療史跡探訪 ―医学史を歩く (医療科学新書)、医療科学社、2016

二子玉川ステーションビル矯正・歯科

小児歯科担当 髙見澤 豊