1852年(嘉永5年)6月12日(旧暦4月25日)、現飯能市坂元の本橋家で本邦初の帝王切開が行われた。帝王切開が行われた本橋家には、現在、「本邦成王切開発祥之地」の碑が建てられている。西武秩父線正丸駅から国道299号線の緩い上り坂を20分くらい歩いたところに記念碑がある。



本橋みとの出産に岡部均平(秩父郡我野郡南川村、現飯能市)が出産に立ち会ったが難産を極め、叔父の伊古田純道(秩父郡大宮郷、現秩父市)に応援を求めた。胎児はすでに死亡していたので、取り出さないと母体ももたないと判断し、親族の同意のもと帝王切開することになった。当然無麻酔である。みとは、術後腹膜炎を起こしたりしたが、均平が術後56日目に完治したという手紙を純道に宛て書いている。みとは88歳まで生きた。
これらについては書かれた小説には、秋山圭著「いとしきもの すこやかに生まれよー日本初の帝王切開物語ー」と篠田達明著「闘う医魂小説・北里柴三郎」に収載「正丸峠の帝王切開」がある。秋山氏の作品は渡辺淳一のような作風で描かれ岡部均平と伊古田純道をモデルとした完全なフィクションとなっている。一方篠田達明氏の作品は、吉村昭風のタッチで詳述されている。
二子玉川ステーションビル矯正・歯科
小児歯科担当 髙見澤 豊