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医史跡、医資料館探訪記8    壬生のヒポクラテスたち-医は仁術なり-展

栃木県の壬生町立歴史民俗資料館を訪ねました。「壬生のヒポクラテスたち-医は仁術なり-」展(平成31年2月9日(土)~3月24日(日))が開催されていたからです。

医史跡、医資料館探訪記8 壬生のヒポクラテスたち-医は仁術なり-展

壬生藩6代藩主となった鳥居忠挙(ただひろ*)の「医制改革」について紹介されていました。幕府が蘭学を禁止する中、藩医・斎藤玄昌(げんしょう)(玄正)に蘭学を学ばせ、北関東で初の解剖を実施、天然痘予防ワクチンである牛種痘を徹底するなど先進医学の先駆けとなりました。壬生藩医による人体解剖の記録「解体正図(せいず)」はその後、全国の医師たちに広まりました。蘭方医のネットワークの広がりを感じます。展示では写本なども展示されていました。この解剖では、解体新書に示された内容が真実なのかという観点から行われたとのことでした。

*Wikiのよみがなは「ただひら」は誤りという壬生町立歴史民俗資料館の見解

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解剖正図

また、オランダ軍医ポンペ・ファン・メーデルフォールトの講義を最初に受講した学生(日本初の医学生)の一人として記載されている榊原養庵(ようあん)が、壬生藩医となった玄瑞(げんずい)(1828-没年不詳)と同一人物であることがわかったそうです。養庵と玄瑞が同一人物とする見解の決め手になった「旧壬生藩士族明細短冊帳」(同館蔵)が初展示されていたほか、ポンペや弟子たちの写真などを展示されていました。

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ポンペの写真          松本良順とその弟子たちとポンペ

 

平成31年3月17日(日)午後1時30分~壬生町城址公園ホール 中ホールでシンポジウム『“壬生の赤ひげ”を語る』が開催されました。基調講演は佐賀大学地域学歴史文化研究センター特命教授・医史学の青木歳幸氏でした。

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二子玉川ステーションビル矯正・歯科

小児歯科担当 髙見澤 豊