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医史跡、医資料館探訪記9    吉岡彌生記念館と生家を訪ねて

掛川市にある吉岡彌生記念館を訪ねました。吉岡彌生(よしおかやよい)は東京女子医科大学の創設者です。1871年(明治4年)に遠江国城東郡土方村(現:静岡県掛川市)に漢方医・鷲山養齋(わしやまようさい)の娘として生まれます。男尊女卑の激しかった明治時代に済生学舎(現:日本医科大学)に学び、日本で27番目に医術開業試験に合格した女性でした。国家試験合格後実家に戻り田舎医者をしていたが、ドイツへの留学を夢見て再び上京しドイツ語を学ぶため東京至誠学院に通うようになります。その後同学院院長の吉岡荒太と結婚します。ここで夫である荒太について簡単に触れます。荒太自身も医師を志していましたが事情があって断念したこともあり、彌生のよき理解者であり協力者でありました。1900年(明治33年)済生学舎が女学生は風紀を乱すなどの理由からその門戸を閉ざすことになったことから、同年12月に女性が医師になる道を閉ざしてはならないと自らが開業していた東京至誠医院の一室に東京女医学校を創立します。1912年(明治45年)に東京女子医学専門学校に昇格、1920年(大正9年)に文部省指定校となり、卒業生は無試験で医師資格が取れるようになりました。女性の地位向上に尽力し東京婦人会委員長、大日本婦人会顧問等を歴任しましたが、戦後は公職追放、教職追放となり、自身が設立した学校にも足を踏み入れることができなくなります。1951年(昭和26年)解除され,東京女子医科大学学頭となります。

彌生自身が次のように述べています「私の考えの根底にあるものは医学ではなくて婦人であります」。常に女性の地位向上を念頭に置いていたのでした。

記念館では、現在の女子医大に至るまでの足跡が紹介されています。展示室内は撮影禁止なので、それ以外のところを撮影しました。ゴールデンウィーク中に訪れましたが、滞在中に来館される方はいませんでした。


きれいは外観です。無料駐車場もあります。

常設展示室(外から撮影しました)。壁には至誠一環と書いてあります。

生家配置図。

 

長屋門と表札

生家 兼 医院

待合室                    診察室

お庭きれいですね

最後に記念館紹介の動画があったので紹介しますね。

二子玉川ステーションビル矯正・歯科

小児歯科担当 髙見澤 豊