NEWS

医史跡、医資料館探訪記41 北里大学東洋医学資料展示室を訪ねて

高山歯科医学院跡から徒歩で20分くらいであろうか。魚籃坂を下り白金高輪駅前を通り北里大学白金キャンパスを目指す。同キャンパスを訪れるのは2回目になる。東洋医学総合研究所のあるアネックス棟の2階に東洋医学資料展示室はある。展示室で記帳するだけで見学ができる。

医史跡、医資料館探訪記41 北里大学東洋医学資料展示室を訪ねて 医史跡、医資料館探訪記41 北里大学東洋医学資料展示室を訪ねて

写真左は入口。右は古代中国の竹簡に書かれた医書(レプリカ)。

医史跡、医資料館探訪記41 北里大学東洋医学資料展示室を訪ねて 医史跡、医資料館探訪記41 北里大学東洋医学資料展示室を訪ねて

写真左は治療用刺鍼、楊枝と同じくらいのサイズ。刺されたら痛そう。右は印籠(ピルケース)。

医史跡、医資料館探訪記41 北里大学東洋医学資料展示室を訪ねて 医史跡、医資料館探訪記41 北里大学東洋医学資料展示室を訪ねて

写真左は聴診器。器具を使っての聴診は1819年にフランスのラエンネックが初めてといわれており、聴診器といっても厚紙を丸めて筒状にして患者の背中に当てて音を聞くというものであったが、この象牙質製のトラウベ型聴診器はおそらくは19世紀中期から後期のものだと思われる。

写真右は薬籠(やくろう)、往診に使う携帯用薬箱。

医史跡、医資料館探訪記41 北里大学東洋医学資料展示室を訪ねて 医史跡、医資料館探訪記41 北里大学東洋医学資料展示室を訪ねて

写真左は携帯用鍼箱と鍼、写真右は計量に用いた竿秤(さおばかり)。

医史跡、医資料館探訪記41 北里大学東洋医学資料展示室を訪ねて 医史跡、医資料館探訪記41 北里大学東洋医学資料展示室を訪ねて

写真左は、明治期に入り西洋医学が台頭し旧来の漢方医学が排除されていく中、漢医存続運動を続けた浅田宗伯の肖像。写真右は、曲直瀬道三の代表的な著書「啓迪集(けいてきしゅう)」。

医史跡、医資料館探訪記41 北里大学東洋医学資料展示室を訪ねて 医史跡、医資料館探訪記41 北里大学東洋医学資料展示室を訪ねて

写真左は、華岡青洲と女婿南洋の治療図説「春林軒奇患図」。写真右は、「養生訓」の著者 貝原益軒が編纂した「大和本草」で江戸時代の博物学の先駆書。

医史跡、医資料館探訪記41 北里大学東洋医学資料展示室を訪ねて 医史跡、医資料館探訪記41 北里大学東洋医学資料展示室を訪ねて

廊下には、生薬標本が展示してある。植物性、動物性、鉱物性生薬ごとに分けて展示してあった。

ブログでは紹介しきれないほどの貴重な資料が、たくさんあったことを最後に付け加えておく。

 

二子玉川ステーションビル矯正・歯科

小児歯科担当 髙見澤 豊